第二次世界大戦中に、当時の校長の発案により終戦の日まで掘り続けられた地下教室があると聞いて訪ねてみた。
度重なる敵機の襲来、激しさを増す機銃掃射から児童を守るには学校の裏山に壕を掘り逃れる。生き延びるために…。
地下教室の名は「極まりなく無限」と云う意味を込めて「無窮洞」と当時の校長が命名。学校の裏山に作られた「無窮洞」を掘り進めたのは、先生に指導された高等部の生徒たちだったと語部は云う。男子が鶴嘴を振って岩を砕き、女子が綺麗に整える。下級生は掘出した瓦礫を運び出しを担うなど統率がとれていた。
語部のH老人は懐かしそうに目を細めながら話し始めた。
交代で鶴嘴を振い、鍬を使って土砂を掬う。
その傍らでも授業が行われていたと云う。
夏は涼しく、冬は暖かい地下教室での授業は今でも楽しい思い出だと…。
大人達は皆戦役に就き、頼る術は無く総て子供たちの手により作られた壕の壁面に刻まれた一打一打の痕跡に「生き抜くこと」の尊さを感じた。
戦後70年、食糧庫として掘られた壕の床には、天井から滴り落ちる一滴が刻んだと云う「小さな穴」が…。静かに時の流れを刻んでゆく。